「あの時、諦めなくてよかった」高橋一生の若き日々
今や日本を代表する実力派俳優のひとり、高橋一生さん。柔らかくも芯のある演技に魅了されるファンは数知れません。でも、あなたはご存じですか? 彼が華々しいスポットライトを浴びるまでには、長い「無名時代」があったことを。
それは、1980年、東京都港区で生まれたところから始まります。母子家庭で育った一生さんは、5人兄弟の長男。家計を助けるため、幼い頃から芸能界に飛び込んでいたのです。
子役時代。静かに始まった俳優人生
実は、一生さんのデビューは10歳の時。映画『ほしをつぐもの』(1990年)で主役の声を演じ、声優としてスタートを切りました。しかし、その後の芸能人生は決して順風満帆ではありませんでした。
仕事は不定期。友達が高校生活を謳歌する中、一生さんはオーディションを受け、時にエキストラで終わる日々。表舞台に立てず「自分は俳優に向いていないのでは」と悩んだこともあったそうです。
転機は20代後半、舞台と出会い演技に開眼
転機となったのは、20代後半。蜷川幸雄やケラリーノ・サンドロヴィッチといった演出家の舞台に参加したことでした。「感情をさらけ出すことの怖さと快感」を覚え、演技にのめり込むようになります。
この時期の経験が、後の“空気を震わせるような繊細な演技”に繋がっていくのです。
35歳でブレイク!遅咲きの花が満開に
「高橋一生」の名前が一躍注目を集めたのは、2015年のドラマ『民王』でした。総理の秘書・貝原茂平役で見せた冷静沈着かつコミカルな演技が話題に。以降、主演級の作品が続々と舞い込むようになります。
「ようやく認められた」と語った一生さんの目には、安堵と決意が滲んでいました。長い下積みを経た彼だからこそ、多くの役に“リアリティ”を宿せるのでしょう。
まとめ:諦めなかった若い頃が、今をつくる
派手なエピソードはなくても、地道に努力を続けた若き日の高橋一生さん。その姿勢こそが、今の彼の魅力を支えているのです。
もし今「自分には才能がないかもしれない」と悩んでいる方がいたら、高橋一生さんの若い頃を思い出してみてください。遅く咲いても、深く咲く花もあるのです。